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社長生い立ち ~家づくりにかける思い~

昭和 34 年創業の工務店社長に就任して7 年... 19 才から、わたしの本当の人生がはじまりました。


出会い
前社長である従叔父さんに、いろんな建築現場に連れていってもらった幼少期。
大工さんが鉋で木を削ったり、のこぎりで木を切ったり、金づちで釘を叩いたりとカッコイイな!と感じていました。
また家を建てる時は、クレーンの横に座って見ていた記憶もあり、休みになると何故か叔父さんと一緒にいる思い出ばかりでした。
「従叔父さんってすごいなぁ」「すごい仕事してるんだなぁ」「いつか大工さんになりたい」と思いました。


これが 私の夢への始まりでもあり・・・・ ~ 時が経ち ~ 小学生の時は、頭は良くないけど、運動大好きで毎日のように放課後も友達と遊び、家に帰れば親父と4キロ ぐらいジョギングしていた。
体力には自信があったのでマラソン大会ではいつも上位でした。
中学に上がった時に部活は『陸上部』に入ると決めていた。

そこで出会った顧問の先生は見た目にも怖く厳しい熱血な先生で3年間やっていけるか不安だった・・・
私が通った中学校の陸上部は全国大会で優勝をする有名校で、長距離を希望したが周りにはレベルが高い人 ばかりで実力のなさを痛感した・・
が 顧問の先生からは『諦めるな!諦めなければ必ず達成出来る!強い意志と強いハートを持て!』 と言われ、今まではすぐに諦めてしまい、次頑張ればいいと自分に言い聞かせていた。
しかし、その言葉で変われる気がした!

そして三年生の時には部長を任せられ、責任ある立場で部員60名を引っ張っていきました。
夢に向かって進学 楽しい中学時代も終わりが近づいた。高校進学の話は担任の先生ではなく、部活の顧問の先生が『杜若高校文理コースの先生を呼んであるから』と・・・
そのように大学進学まで考えてくださっており、とても嬉しかった。出迎えてくれた高校の先生と私の母親が顔を見合わせて....
なんと小学校、中学校の同級生であり偶然とういことがあることにびっくりしました(笑)


そして、中学3年間を過ごし終えた時、夢が『教師』になりたいという気持ちに変わっていた。
高校生の時は勉強・勉強・勉強合宿という勉強漬けの日々で、現実から逃げ出しそうになったこともあったが、 多くの友人の支えもあり遊びに勉強に充実した高校生活を過ごし、大学受験にも無事合格!
夢への道を確実に歩み始めた。

親元を離れ東京の大学に進学。地元から出たことのない私にとっては、都会での生活にワクワク感もあり、嬉 しかったのが本音です。
高校生の時は毎日勉強の日々でしたが、大学生になると開放された気分で、
高校の時に入れなかった部活も始 めたり、やりたいことも沢山あったりと、楽しみがとにかくいっぱいありました。
 

 

人生の転機

大学生活がはじまって3ヶ月が経とうとしたある日、一本の電話が鳴った。

それは母親からで、『従叔母さんが亡くなった』・・・・と。 従叔母さんにも可愛がられていた私は、本当にショックでした。
とにかく急いで地元に戻りました。 戻ってから無事に葬儀も終えたその時でした。

従叔父さんの口から一言、『戻って来ないか』と。 従叔父さん・従叔母さんは、二人三脚で作り上げた会社があり、後継ぎがいなく歳も当時70歳でしたので、後継人 としてやってくれないかと言われ、正直なところ迷いました。
お世話になっていたから【何とかしてあげたい】という気持ちと、教師になりたいという【夢】もあり・・・・・
悩みに悩みました。返事を出さないといけないし・・
決断するしかないと・・・

母親に電話で『地元に戻る』と伝えました。反対されました。
このご時世、安定した仕事に就くのが一番だ!』と 言われましたが、意志は固く戻ることを決意した。

夢を諦め、従叔父さんの会社に大工として入社。地元の豊田市で半世紀も続く工務店、会社には大工さんが3名。
大工さんは毎日、手作業で墨付け・刻み・加工をしていました。木の香り・木を刻む音・大工さん の熱気、
それらが私の五感に響いてきました。 入社後は棟梁の弟子として作業をしていました。

が・・何も教えてくれない・・・
棟梁は、昔人間で『技術は見て盗め』と言わんばかりの感じで、そこからという毎日はとにかく技術を 身につける日々となりました。
養子に入り、2代目としての準備 入社して2年が過ぎようとしていた時、社長の従叔父から『会社と名前を継いで欲しい』と言われました。
さすがに名前を変えることには抵抗がありました。
今まで21年間あたりまえのように使っていた名前、それ も長男として生まれた私は、親の姓を継承していくことが使命だと常に思ってました。
親父も養子に入ることに最初は反対していたが、会社を背負っていくならと了承してもらいました。

そして、私の姓は『北村』から『渡邉』となりました。

 

偽物の自然素材?

先代はとにかく木へのこだわりが強く、『お客様の一生に一度の家!プロとして一本一本を見極めないとあか ん!!』とよく口癖で言われていました。
外観より中身で勝負!中身の構造・柱・土台は後から変えることが難し いので、一番大事だと感じました。

そして、10年間大工として現場に携わり、【珪藻土がニセモノ!?】ということに気付きました。
珪藻土そのもの は本物ですが、中に入っている成分表をみると、そこには『樹脂』と書いてありました。樹脂というのは、凝固剤 すなわち化学系の接着剤のことで、要はプラスチックです。 住宅火災発生時に、一酸化炭素中毒が死因になるケースが多いことは良くご存知だと思います。
その原因は、 燃えにくい塩化ビニル製クロスに含有されている樹脂(プラスチック)が不完全燃焼を起こし、発生した一酸 化炭素を吸う事で中毒になってしまうのです。塩化ビニル製クロスにそういう害がある。

だから珪藻土。
しかしのそ珪藻土も、接着剤として同じ成分が使われている以上、結局は塩化ビニル製クロス と同じことなのです。
実は、プロである住宅会社もホームセンターの珪藻土を多く利用しています。

体に悪い塩化ビニル製クロスの 代わりに、この接着剤入り珪藻土を使う会社もあれば、『珪藻土は、自分でホームセンターで買って塗れば安く 済ませられますので、あえてそうするのがお得ですよ』なんていうセールストークを使う、ハウスメーカーの 営業マンもいました。
本物の自然素材を発掘 珊瑚の塗り壁!和紙の塗り壁!ミネラル珪藻土の塗り壁!これらの成分表を見ると、ボンドには『海藻のり』 や『白樺の樹液』と書いてありました。
さらにビニールクロスではなく、コットンのクロスにお米糊!

『これが探し求めてたものだ!』 この本物の自然素材と出会えた時はとても嬉しかった!

これでお客様に安心して家づくりをご提供することができると確信しました!!
この商材は、特定の工務店さんでしか取扱うことができないといもので、取扱えるように交渉し研修にも参加 し、ようやく手に入れることができ、本物の自然素材を、職人の手によってできることに喜びを感じました。
 

2代目の決意
 
当時の社長が『俺が80歳になったら世代交代』と一言。えっ?まだ30歳ですけど・・・ 心の奥にはやりたい気持ちと不安があり、毎日考えることばかりで落ち着かなかった。

【家づくり】ということを見つめ直した時に、『家族の健康・笑顔・幸せのために』お手伝いすることが使命だと 思い、未来の子どもたちのために、技術や伝統を残していかなければならないと誓った!
私たちの家づくりを信頼して下さるお客様、オーナー様、協力業者様、関係するすべての皆様、本当にありがとうございます。
私たちは、地元豊田で、創業者の想いを守った家づくりを生涯、全うしていきます。 最後に、自然素材健康住宅こそが人間にストレスを与えない家づくりだと私は思います。